ガラスの大皿が欲しいと思ったのは、固めに茹でたそうめんをざるから、いただき物の墨色の皿へ移しているときでした。
「器と料理は夫婦のごとき関係である」
そう語ったのは稀代の美食家、北大路魯山人。
「器はもちろん、ひいては座敷、床の間の飾りも料理に伴っている」というような教えが後には続いていたとか。
四季の移ろいを料理や食器や飾りで表現し、目で味わうと言われる日本料理。
日本の食やその周りの生活の豊かさを求め続けた彼だからこそ言える、ヒトの知覚を体現するような言葉だと思います。
さて、ガラスの大皿が欲しくなった私は、かの美食家宜しく、
多種多様な器を取り揃えてもいなければ、床の間に数寄者も唸るオブジェを配置しているわけでもありません。
ですが唯一、コップだけはひとつふたつとその数を増していき、棚の中でぎゅうぎゅうと列をなしています。
形もない液体に魯山人の考えが及んでいるのかはつゆも知りませんが、たかがコップ、されどコップ。
飲み物に合わせて使われている私の飲む器事情を一部ご紹介したいと思います。
恐らく日本で暮らしながらこれで水を飲んだことのない人はいないのではないでしょうか。
説明不要、ガラスのスタッキングタンブラー。
2つのグレードがあり、こちらは廉価な方。
高価なものより分厚くて少々野暮ったい、そんなチープさが魅力的です。
紫のボディにポップなイラストが映えるモダンクラシックな波佐見焼の寿司湯呑。
熱いお茶にはやっぱりこれ。寿司はもちろん和菓子のお供にも。
熱くならない、なんて気の利いた機能もなにもありません。
指先の熱に耐え忍び、湯呑でお茶をすすればホッと一息。そんな瞬間を与えてくれます。
90年代アメリカ映画のカフェで、ウェイターがぶっきらぼうに注ぐコーヒーが似合いそうなマグ。
類を見ない分厚さは、ハードな現場で利用される業務用マグらしい特徴です。
その耐久性が高く評価され、米軍からも発注が来るほどだったよう。
気になる機能性は、重い、持ちづらい、容量少ない、口当たり悪いという一品。でもそれで良いのです。
口が広い扁平形状に薄い水色を楽しめる内側装飾と基本に忠実なティーカップです。
スイレンやスイカズラといったアジアの小花紋が馴染みない器との距離を縮めてくれます。
洗い物が増えるため他では使用することのないソーサーがミソ。
一段高い舞台の上に乗った小ぶりな品のあるカップは、来客はもちろん、自分さえももてなしてくれます。
奇異な見てくれは器というよりオブジェのよう。
機能は二の次三の次、アーティストの自己表現がたまたま器として形を成している…と侮ることなかれ。
形状とは裏腹に、これまで持ったマグの中で最も持ちやすいといっても過言ではない逸品です。
見た目だけで判断できるとは限らない。そんな大切なことを文字の通り体感させてくれます。たっぷりと塗られて垂れた釉薬がポイント。
生活の豊かさとは実に様々な要素がバランスを取って成り立っているといえます。
コップや器、身の回りの小さいものから生活にさらなる彩を与えてみてはいかがでしょうか?
ちなみに魯山人の審美眼を通し制作した器類ですが、彼を知る様な識者界隈では「手ごろな値段」として小皿が20万円~で購入できるとのこと。
私には彼の背中どころか、通った道の足跡ですら当分見えそうにないようです。